おばちゃん、お母さんになる。5 トイレにいきたい!

痛みより私を苦しめていたもの。

それは、尿意でした……w

 

診察前に一度トイレに行っていたものの、

妊娠中はとにかく頻尿。

それも事態が急変するうちは意識しなかったものの、

搬送中という状況になって

急に思い出してしまったのです……。

 

「血圧を下げる薬が、効いていますよ。大丈夫ですよ」

付き添いの優しい看護師さんが、聞いてくれます。

「大丈夫ですか?寒くないですか?」

「寒くはないんですが、あの……」

いうしかない。

「病院に着いたら、トイレっていけるんでしょうか……」

「あ!出発前に行けばよかったですね。大丈夫ですか?」

病院までは1時間ちょいと聞いていたので、

なんとか我慢できる……はず……!と思い

「病院までは大丈夫だと思うんですが、

いろいろあったらつらいかもしれないです」

ついたらすぐに診察とかそれどころか内診とか言われたら

大変なことになるかもしれなくてよ……と思いましたw

「わかりました!着いたら、トイレいきたいって

ちゃんとアピールしますね!」

ああ、心強い……あと救急隊員の方、

聞かないふりしてくれてありがとう……と心の中で、感謝。

「〇〇医大って行ったことがありますか?」

「ない……です。聞いたことはあるんですが」

不妊治療中、何度か聞いた名前でした。

「とっても広いんですよ。だから、旦那さんとお母さん、

到着したらどこにいけばいいかわかりにくいと思うんです。

救急車の出入り口があるので、そこで待っててくださいって

お伝えしたほうがいいかもしれません」

救急車の中で電話していいのかな?と思いましたが、

携帯で夫に連絡しました。

運転中だから難しいかな?と思っていましたが。

「もう着いたよ。救急車の入り口ね、わかった」

「えっ、救急車がまだなのに……」

夫が先に到着していたことを伝えると

看護師さんは驚いていましたw

 

救急車がたどり着くと、夫が顔を覗き込んできました。

「大丈夫?」

今度は「?」つきだな、なんて思いました。

ストレッチャーで廊下を進み、エレベーターに乗り、

(今どこにいるのかな、私)

と思っている間に、ある部屋にたどり着きました。

 

まず思ったのが、

(広い)

そして、

(人がいっぱい……)

でした。

 

医師らしき人が数人、看護師が持ってきた紹介状?を見て

看護師らしき人も、他の白衣の人もぱたぱた動き始めました。

まず腕についた点滴の薬について問いただしたり、

針の太さを確認(左腕だけ細い針でした)し、再度別の針を刺したり。

物珍しさといっては変ですが、

何かがまた始まってるという緊張感で

また一瞬尿意を忘れましたw

しかし、問診を受け、足の付け根あたりに注射、

さらに下腹部を剃毛……ということになったあたりで、

「尿意!」とハッと思い出したのです。

「下着下げますね」

と白衣の方に言われたところで、思わず、言ってしまいました。

「あの!……あの、トイレって……いけますかね?」

そのあたりで、もうひとつ、思い出していました。

(クリニックの看護師さん、アピールしてくれるって言ったのにぃ…)

しかし、自分の尿意くらい自分でアピールせねば。

甘えちゃいけない、だってこれから私はどうやら

本物のお母さんになってしまうのだから……。

ちなみに、看護師さんは私を引き継いだら姿を消していました。

 

「トイレ?」

「はい、あの、すごくいきたくて」

「ちょっと無理ですねーでもすぐに管いれますから」

ちゃっちゃっと注射を受け、剃毛をされ。

(管?)

管って、え、あの……例の……。

すごく痛いって聞いたような、いやそれは男性だけか?

でもどう考えても自然の摂理に逆らってるし

管って……管って……!

と一瞬のうちにぐるぐるしていまいました。

が、すぐに

「それって痛いですか⁉」

痛いの大嫌いなんです。

「痛いっていうか、違和感はありますね」

とか言ってる間に、その管はやってきてしまいました。

「動かないでくださいね。動くと危ないから」

動きたくなくても動いちゃう場合はどうしたらいいんでしょうか⁉

と思っている間に、……ん?確かに違和感、……お?

あれ……尿意……ない……。

あの感覚は、今でもすごーく不思議ですw

さっきまで脳みそを支配してた尿意が、

あの排泄の感覚もないのにすっきりなくなったのですから。

 

手術をしてからいろいろと怒涛の驚きを味わった私ですが、

これが一番最初の「衝撃」でしたw

おばちゃん、お母さんになる。4

「受け入れ先の病院が決まりました。〇〇医大です。

救急車がきたら、搬送しますからね」

先生がきて、そういいました。

思わず、食い気味で聞いていました。

「先生、34週で、赤ちゃんは大丈夫なんでしょうか?」

「絶対とは言えませんが……。

体重も推定2200ありますし、34週なら肺もできているはずです。

大丈夫ですよ」

よかった……。

初めて、深い息ができた気がしました。

 

そこに、夫と母が入ってきました。

点滴につながれている私を見て、母が一瞬ハッとした顔を

して、私の名前を呼びました。

先生は先ほどと同じように受け入れ先病院が決まったこと、

救急車で搬送をすることをふたりに告げてくれました。

「救急車は早いので、先に病院に向けて出発したほうが

いいでしょう。地図をお渡ししますので」

「私が付き添いをします」

看護師さんが言うと、母が頭を下げました。

「お願いします。……それじゃあ、先に行ってるからね」

「大丈夫だよ」

夫がもう一度、そう言ってくれました。

「うん……ごめんね」

 

救急車、救急車かあ、乗るなんて思ってなかった。

というか、人生で乗る羽目になるとは思ってなかった。

ストレッチャーで運ばれながら、少しだけ余裕が出てきました。

病院の待合室の中を、救急隊に運ばれる自分を客観的に見て、

(お騒がせして申し訳ないなあ)などと、ぼんやりと思いました。

そして、何度か検診に向かった時、

救急車が病院の前にいたことを、ふっと思い出しました。

(こういう人が、他にもいるんだろうな)

私だけじゃない、ということが、

今の現状の慰めになるわけではないけど。

 

救急車の中は、思ったよりも広く、

思ったよりも狭かった、気がします。

そしてサイレンがさぞやうるさいんだろうと

思っていたんですが、そうでもなかったです。

それよりも、いれられた点滴の針が、

血圧を測られるたびに痛くて痛くて、それがつらかった。

左手の点滴の針がなかなか入らず、

痛みはあるものの苦労する看護師さんを見ているうちに

「大丈夫です」と言ってしまっていたのです。

 

そして、もうひとつのものが私を苦しめていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

おばちゃん、お母さんになる。3

NSTから聞こえる鼓動に、やっとぼんやりと

何が起こっているのかわかり始めました。

(今から、赤ちゃんを、産む)

 

34週なのに?

この病院はクリニックで、NICUがありません。

母親学級で、「36週未満で産気づいた場合は、

ここでは受け入れができません。

別の場所へ紹介します」

と言われていたことを思い出しました。

その時は、ものすごく他人事でした。

 

そもそも、私には早産の兆候がないばかりか、

むしろ先生からは「お産が遅くなりそうだ」と

いわれるくらいだったのです。

そして、年齢や不妊治療のことを踏まえ、

帝王切開で産むことが最初から決まっていました。

そう、そのために次の週から自己血輸血のために

採血をする予定だった、このベッドで……。

そう思いながら、ベッドに横たわっているうちに、

ぼろぼろと涙が溢れました。

(34週で生まれるなんて。どうしよう、私のせいで。

私のせいで、私のせいで、赤ちゃんが、

何か問題が起こるかもしれない。

もっともっともっと節制すべきだった。

糖尿だけじゃなくて、血圧だって、

異常がなかったとしても、もっと節制すればよかった)

 

「大丈夫ですよ、今ね、先生が受け入れ先を探してくれて

ますからね。決まったら、すぐに行きましょうね」

「はい……」

「せっかくきれいなピンク色なのに、ごめんなさいね。

落としますね」

看護師さんが言いながら、優しくマニキュアを落としてくれました。

でも、この状態の私には、マニキュアすらも自分を責めて

いるかのようでした。

(こんなものを塗って、へらへらしてるから、こんなことに

なったのかな。まだ小さいのに。2200グラムしかないのに。

私のせいで……)

「点滴を入れますね」

両腕に点滴を入れられました。

点滴を入れられたのは、流産の手術の時以来でした。

腕が動かせなくなった私の涙を、看護師さんが拭ってくれました。

 

 

 

おばちゃん、お母さんになる。

2017年、2月7日、私はお母さんになりました。

不妊治療を2年した末のことです。

 

その日はとても晴れた日で、私は妊婦検診のため

産院に向かっていました。

地元では人気の産院で、妹も親類も、みんなそこで産んでいます。

実際、院内は先生方を含めとても雰囲気がよく、

さらに食事がおいしいことで有名。

「早くここで産みたいな」と思っていました。

 

妊娠も9か月に入った34週目だったため、

夫が休みを取って同行してくれました。

当初は母が同行してくれる予定でしたが、

平日休みでないとできないことをしておかねば、

というのもあってのことでした。

 

それはコストコIKEAに行くことw

赤ちゃん用品をまだ揃えきっていなかったのです。

それは、長い不妊治療の間に起こった様々なことが理由で、

私に芽生えていた臆病さが原因でもありました。

赤ちゃんのためのものを揃えてから流産したら、

自分は生きていられないかもしれない。

何度かあったその過去のせいで不安でたまらなかったのです。

でも、いよいよ9か月目。

もう、赤ちゃん用品を買っても大丈夫だよね……?

と、おそるおそる小物を揃え始めたのが最近のこと。

そして、ついに大物も消耗品もどんどん買っていこう!と思っていたのです。

 

そんなわけで、私と夫にとってその日は大忙しの一日の予定。

病院にいって、買い物にいって、赤ちゃんがいない間にしかできないところで

食事だってしてきちゃって。

算段をしながら、慣れた病院で診察前の血圧検査と体重測定、尿検査。

 

ところが、そこで事件が起こりました。

 

 

おばちゃん、お母さんになる。2

実は私、そこそこ太っています。

おばちゃんという見出し通り、アラフォーです。

母親は糖尿病で、父方の祖母も重度の糖尿病。

妊娠中、自分に糖尿病の因子があることは

自覚していたので、必死で節制していました。

(もっとも、つわり中に菓子パンしか受け付けなくて

血糖値の数値が悪く結局食事指導を受けることにはなりました…)

その結果、9か月目に入っても体重は妊娠前から1キロ増。

デブだから問題ないとはいえ、それでも病院では

「節制頑張ってるね。この調子でね」

と褒められていました。

 

だから、まったく予想していなかったのです。

 

……血圧、180/105?

 

この時は、「測り間違えたかな?」と

再度計測。下がったけど、157/98。

 

でも、まだのんきでした。

「なんか血圧すごく高い。先生に怒られちゃうかな。

この前ラーメンなんか食べたのがいけなかったのかな」

夫にいうと、

「180って……ちょっと高すぎるんじゃないの?

大丈夫?」

「うーん、大丈夫じゃない。今日から薄味じゃないとね」

などと言っていたら、看護師さんが焦った様子でやってきました。

 

「ちょっと血圧が高いみたいなので……

こちらで計測してみましょうか」

あれ……と思いました。

にこにこしていつもの優しい顔だけど、なんだか緊張している。

看護師さんが手動で血圧の計測をしてくれましたが、

私は徐々に「なんか……やばいのかな……」と不安になりました。

 

そして、いつもと違う診察室に呼び出され、

エコー診察。

「赤ちゃんは元気ですねー」

ホッ……。

「推定2200グラム」

育ってきたなあー。

などと、思えたのは、そこまででした。

 

「お母さんの血圧が、高すぎですね。

 頭が痛いとか、目の前がチカチカするとか、何かありませんでしたか?」

「え?ありません……」

「……このままだと、お母さんの体が危険です。

 いま赤ちゃんを産んでしまわないと、

 妊娠高血圧症で脳内出血をする危険性があります」

「……」

 いまいち、ピンときていませんでした。

 いわれていることはわかるけど、「いま」何をするの?

「受け入れ先の病院を探しますので、少し待っていてください。

 見つかり次第緊急搬送しますので。その前に内診をしましょう」

「あ……はい……」

 内診、じゃあ、ジーンズと下着を下ろさないと。

 やらねばならないことがわかって、やっと脳みそが動きました。

 でも、まだ動いていません。何を探して、何をするんだっけ?

 

内診のため診察室から出されていた夫が、

診察室から出た私を見て「大丈夫」と言ってくれました。

「うん……お母さんに連絡してくれる?」

「わかった。……赤ちゃん元気だから大丈夫」

「うん」

何が大丈夫なんだっけ?

 

まだ、私は何が起こっているのか、遠くに感じていました。